●パネリスト
ありむら潜さん/釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長
上野谷加代子さん/同志社大学教授
住友 剛さん/京都精華大学専任講師

●コメンテータ
宮本太郎さん

●コーディネータ
福原宏幸さん/大阪市立大学教授

 福原宏幸:宮本さんの基調講演をうけまして、「どうつくる、市民のセーフティネット」をテーマに、パネルディスカッションを進めたいと思います。今日のパネリストの皆さんは、大阪の地域でさまざまな活動をされており、それぞれの視点から問題提起をいただきます。宮本さんにも引き続き加わっていただき、コメントしていただきたいと思います。

釜ヶ崎の小さな救護施設の取り組み

 ありむら潜:釜ヶ崎で日雇い仕事を紹介する(財)西成労働福祉センターの職員をやっております。2、3年だけの人生勉強のつもりで就職したのが、もうすでに30年を超えてしまいました。もう一つは「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」という市民によるまちづくりネットワークの事務局長もやっております。

 なぜ「再生フォーラム」をつくったかといいますと、労働福祉センターの自分の業務だけではとても追いつかない地域の状況がありまして、とにかく地域へ入って地域のほうから何かをやらなければいけないということではじめました。設立して8年くらいになりますが、その間ホームレス支援の世界もいろいろと変わりました。10年間の立法措置である「ホームレス自立支援法」もちょうど中間年を迎えています。そうしたことを振り返りながら話をしていきたいと思います。

 大阪市立大学の実態調査で、大阪市内の野宿者の数が8860人にのぼったのは1998年でした。いま思い出しても本当に酷いもので、釜ヶ崎の地域もそのコミュニティも崩壊寸前でした。そういうなかで私たちはずっとフォーラムを開催し続けてきました。2004年くらいからは、もっと参加しやすいように「まちづくりひろば」という名前に変えて、月に1回、毎月「ひろば」というかたちでずっと開いています。そこでは問題を野宿者問題としてだけとらえないで、野宿生活から畳の上にあがった高齢者たちがふたたび野宿に陥ることなく、ちゃんと地域でつながりをつくり、地域のなかで生き甲斐をもって元気に生活する時間をどう伸ばしていくのか、というたいへん奥行きのある問題、大都市における孤立した単身高齢者の生活再建の問題として位置づけてきました。

 釜ヶ崎はそれ自体が小宇宙だったということもあって、すぐにまちづくりという発想になりましたが、いまでもそれが正解だったと思っています。「再生フォーラム」の前には「釜ヶ崎居住問題懇談会」という、96年にトルコのイスタンブールで開催された国連人間居住会議(ハビタットⅡ)の決議内容を勉強し、釜ヶ崎に適用するとどうなるのかというようなことを勉強していた助走期間があったものですから、そのようなことができたと思っています。そこでワークショップなどをいっぱいやりまして、結果的に、第1ステージ「緊急対策」、第2ステージ「抜本対策」からなる、市民による釜ヶ崎のまち再生のグランドデザインをつくっていくことになりました。

 「再生フォーラム」には、釜ヶ崎のまちのさまざまな立場・職業の人たちが集まってきています。現在は減少して120軒くらいになりましたが、簡易宿泊所のオーナーの皆さん、地域の医療機関の医者や職員の方々、大学の研究者、居宅の生活保護をうけている「おっちゃん」たちなどが集まってワークショップを重ねてきました。簡易宿泊所についていえば、当時2万室あったうちの1万室は空いている状況でしたから、日雇労働者むけのままでは立ち行かないのは明らかでした。そこで2つのアイディアがだされ、1つは当時「福祉マンション」と呼んでいましたが、「サポーティブ・ハウス」、生活支援つき高齢者共同住宅ですね。そういうアイディアがだされ、これは現在10軒から15軒ほどありまして、ほとんどが満杯状態となっていますので、およそ1200人から1500人がその仕組みによって野宿生活から畳の上にあがり、生活保護などで居住されています。もう1つは外国人宿の構想で、これもいまや国際的なバックパッカー・タウンになっていまして、1日あたり100人から200人の外国人宿泊者が訪れるなど、どんどん膨れていっています。

 釜ヶ崎のセーフティネットといえば、皆さんは炊き出しと夜間緊急宿泊所・シェルターと特別清掃事業の3点セットだとお思いでしょう。じつはもう1つ、いま紹介したまちづくりによる助け合いネットワークというものがあります。サポーティブ・ハウスに加えて、社会福祉法人による救護施設もありますし、病院もアルコール依存の人たちのための施設もあります。そういったところが助け合いのネットワークを形成しています。その先進事例を挙げれば、ヘレンケラー財団今池平和寮という救護施設があります。皆さんは、救護施設というのは人生のいわば終着点とお考えですよね。更生施設であれば病気が治ればふたたび労働市場に戻っていくわけですが、救護施設はそういう稼動能力を失った人たちの施設ですから、そこの施設に入って人生の終末を迎えるということだったのですが、この平和寮ではたいへんな変貌を遂げております。

 どうなっているかといいますと、定員が64人なのですが、周辺のアパートに移っている人たちが80人程度おります。しかも70歳以上でも周辺のアパートに移った人が2割程度いて、逆に野宿になったとか行方がわからなくなったとかいう人はわずか5人程度しかいません。これはどういうことか。じつは2003年7月にホームレス支援の運動が全国的に盛り上がるなかで、厚生労働省が野宿から直接アパートに入居する場合で必要があれば敷金を援助しなさいというような通達をだしました。この通達が大きく状況を変えました。それを契機にアパートに入居することが可能となり、同時期に救護施設では、可能な人は周辺のアパートに移って居宅になり、双方向での支え合いがはじまるのです。平和寮では巡回の生活相談をやりますし安否確認もやります。そしてもっとも大きかったのは、周辺のアパートに入居した人たちが以前と変わりなく寮を使えるようにしたことです。食事や風呂、洗濯機も使えるし、物干しを使って乾いたからもって帰るということもあります。寮に入居している人たちと一緒にコーヒーを飲みながら雑談したりする場面も多く、はじめて施設を出て行く場合でも安心して踏み切っていけるような関係づくりが、非常に細かい配慮のもとにみごとにできています。

 居宅保護になれば1人あたり月12万円ですみます。病院であれば24万円、施設であれば1人44万円程度かかります。釜ヶ崎には生活保護をうけている人たちが6000人以上います。西成区全体では2万人くらいです。高齢化した日雇労働者たちに生活保護が適用されて以降、彼らがどんな暮らし方をしていくのか、地域に支えられて暮らしていくのかどうか、ということは大阪市政にとってもたいへんな問題であるはずです。さきほどの宮本さんのお話を引用すれば、地域社会に架ける4つの橋のうちの第4の橋でしょうか。高齢にさしかかった人たちがリタイアして地域生活へ入っていくための準備と同様に、施設から居宅保護に移っていく人たちをどう支えていくのかということです。

 野宿生活と社会的入院を何度も繰り返している人たちは、大阪市内でも延べ1000人は超えるといわれるくらいの固定層が形成されており、莫大なお金もかかっているはずです。そうではない、彼らに安定した生活を送ってもらう道がある。そういう意味で大きな分岐点にあるし、先進事例はきっちりとできていると申し上げたいのです。大阪市では生活保護費が年2500億円もかかっているとたいへん否定的にいわれていますが、しかし私たちが専門の先生にシミュレーションしてもらったところ、下手な公共投資や減税政策よりも経済効果は大きいとの結果がでました。また直接地域にお金が流れるわけですから、阪神タイガースが優勝すればなんぼの経済効果があるのと一緒なわけです。そのように消費者を地域に増やす効果がある。生活保護費が大きな問題になっていますが、先進事例も生まれていますので、そのことを広め共有していくということがいまもっとも必要であると考えています。

「青少年会館条例」廃止と青少年施策の課題

 住友 剛:兵庫県川西市には「子どもの人権オンブズパーソン」制度がありまして、自治体条例ではじめてつくった子どもの人権救済・擁護のための公的な第三者機関なのですが、私はそこで子どものさまざまな人権侵害のケース相談をうけ調査を行う、ケースワーク的な調査相談専門員という仕事をしていました。制度がスタートした99年4月から、ほぼ軌道に乗った2001年8月まで勤務して、その後、現在の京都精華大学に移りました。その頃から大阪市内に12カ所ある「市立青少年会館」で、不登校の子どもたちや障がいのある子どもたち、非行傾向のある子どもたち、そういうさまざまな課題を抱える子どもたちを社会教育施設としての青少年会館でサポートしていくという取り組みをしてきました。相談と居場所づくりがメインの事業ですので、2004年からは「ほっとスペース事業」という名前になり、事業の準備段階からその立ち上げ、運営協議会ができて以降は委員の1人としてずっと事業にかかわらせていただきました。

 川西市の「子どもの人権オンブズパーソン」制度は、学校でのいじめの問題、不登校や自殺の問題といったことに対して、川西市や教育委員会が何とかそういうことを防ぐことができないかと検討をするなかで、教育委員会のなかに検討委員会をつくって学識経験者や弁護士の人たちに入ってもらい、1人で悩んでいる子どもたちが気軽に電話で相談ができる制度を考え出していくなかで生まれました。最初は匿名での相談ですが、自分の名前を明かしたうえでさらに相談をうけてもいいと思えば面談に行ってサポートをうけることもできる。場合によれば私たち担当者が間に入って、学校とか相手側の当事者などと話をすることができる。そういうことを市の条例としてつくり動いていこうという趣旨でできた制度です。94年、「子どもの権利条約」が日本で批准された頃から準備を積み重ねて条例を制定し、99年からスタートしたわけです。当時川西市役所で人権関係を担当していた課長級の職員の方に聞くと、予算的には年間二千数百万円、「あなたたち担当スタッフの人件費くらいしかかかっていない制度です」というようなことをいわれました。川西市の猪名川を挟んだ対岸には大阪府池田市があり、猪名川の花火大会をこの2つの市が共催で実施しているのですが、花火大会の川西市側の負担金と同程度、という話もありましたね。

 このことからわかるのは、学校や地域社会のなかで起こっている子どもの人権侵害に対して、条例を制定してきちんと救済しサポートするシステムをつくることは、そんなにお金がかからないということです。相談をうけてさまざまな対応をするスタッフが何人かいて、相談窓口をつくって広報すれば、取り組んでいけるわけです。大阪市にはお金がないといわれますが、こういう制度をつくりたいという気持ちさえあればできるということを、教育委員会の人たちとかかわりながらずっと感じてきました。あるいは、大阪市の場合いまある子どもたちの公的サポート機関や相談機関、社会教育施設などを有効に活用して、学校や地域社会あるいは家庭のなかで子どもたちが困ったことがあったときに駆け込めるような拠点施設をつくる。とくに市立青少年会館の取り組みを見直して、青少年会館にそういう機能をもたせるようなことができればということを「ほっとスペース事業」のはじまりの際考えました。しかし、この春に「青少年会館条例」が廃止され、そこに配置されていた職員もそれぞれ異なる部局に散っていくということになってしまいました。

 大阪市の事業としては、現在も子ども青少年局の事業として「ほっとスペース事業」を展開しているし、将来的には全市展開ということになるのだろうと思うのですが、拠点施設としての青少年会館は「ほっとスペース事業」だけを実施していたわけではありません。地域の子どもたちのさまざまな課題に対応して、たとえば放課後の子どもたちを集めてのいろんな活動や学習会、文化活動や講座事業などを展開しており、普段から地域の子どもたちの出入りも多く、また大人たちも常に出入りしていました。そうしたことで、地域コミュニティの核、居場所として機能しているようなところでした。しかし現在は、事業だけを展開しているというかたちになってあまり人がやって来ず、静かになってしまいました。その静かなところに、不登校経験のある子どもたちが通ってきて、相談員たちと何かやっているというような状況になっています。これまでは毎日、青少年会館に行って絵本の読み聞かせサークルの人の話を聞いたり、さまざまな遊びの活動などに参加していた子どもたちが現在はどうしているのか、誰も把握もできていないという状態になっていると聞いています。

 「子どもの権利条約」には、「子どもは、休んだり、遊んだり、文化・芸術活動に参加する権利がある」という条文があります。しかし、一方でさまざまなカルチャーセンターのなかから好きなように選択できる子どもたちもいれば、家庭に余裕がなくて絵や音楽にチャレンジしたいと思ってもできない子どもたちもたくさんいる。そんな子どもたちの、放課後や休日、夏休みの活動の場所が大阪市内にどの程度あるのか。NPOの人たちが、そういう子どもたち対するさまざまな活動が展開できないかと頑張っているのですが、そうしたNPOに対して場所を提供したり、場所代だけでもNPOの負担にならないような支援ができないのかなどと考えたりしています。

 大阪市の場合、不登校の子どもたちの割合が全国平均より2、3%くらい高い状態にあります。にもかかわらず公的な相談機関やサポート体制、なかでも子どもたちの居場所は非常にかぎられているというのが現状です。「ほっとスペース事業」がはじまるまでは、小・中学生の子どもたちについては、教育委員会が実施している適応指導教室がありました。しかし、その適応指導教室の定員枠は建物の収容力の問題などで、大阪市全体で数十人にかぎられており、そうした子どもたちの数が3000人弱にのぼると考えれば、まったく対応できていない状況にあるわけです。さきほどの宮本さんの講演のなかでも、日本は若年層への公的支援が少ない、若者に予算があまり投入されていないというような話がありましたが、家に引きこもっている若者へのサポートをどうするのかというような課題もあると思います。

介護保険法施行後の社会福祉の課題

 上野谷加代子:大阪市立大学の家政学部に入学した1968年の夏に、まだ各地に解放会館ができていない時代でしたが、府下のある同和地区の同和保育、子どもの学習権を保障する活動に参画させていただきました。そのときの衝撃たるや、本当に社会福祉を学ぶ者としてこれでいいのかと思いました。また、76年に八尾市の児童福祉審議会で、当時この審議会の会長が私の恩師にあたる大阪市立大学教授の柴田善守先生で、もうすでに亡くなられましたが、その柴田先生が、障がい児こそ保育に欠けるということで児童福祉法の読み替えをされ、母親が就労しているか否かにかかわらず、障がい児こそ保育所に入所する権利があるということを謳ったわけです。当時は、障がい児を抱えた親たちが役所の窓口のカウンターに子どもを置いて闘争していた時代でした。大阪市においても、現場の保育労働者たちは同和保育や障がい児保育にたいへん頑張られ、多くの実践を積み重ねられてきました。私もそこで育ててもらいました。同和地区の住民たちが保育士やヘルパーの免許がとれるように夜間の勉強会をしていた時代でもあります。

 そうしたなかで私は、個別具体の生活支援も大事であるが、地域の偏見や差別をなくすことなくして生活は成り立たないということに気づき、現在も続く地域福祉の方法論を研究してきたのです。ただし、この地域福祉というのは「まがいもの」もありまして、国と地方政府、自治体との関係、そしてそれを住民に押しつける方策にすり変えられる危険性がとてもあります。自分の研究していることが、本当にセーフティネットになっているのか、逆に公的責任を薄めているのではないかという自戒もあるわけです。

 社会福祉は社会政策や社会保障とは異なって、補完性の原理のなかで、もちろんそこには公的責任という問題はあるのですが、とりあえず今日明日の生活を維持するために現実性の原則で動いていくというところがあります。そのときの状況のなかで、私たちの幸せとは何かというようなことを、住民が対話しながら確認し幸せづくりをしていくプロセスが社会福祉といえます。私が研究している地域福祉というのは、それを誰が誰とするのかということにこだわります。行政なのか、自治会や町会なのか、社会福祉協議会がするのか、あるいは運動団体なのか。誰と手を組むかという手の組み方についても私たちは選択しなければなりません。緩やかに手を組むのかきっちり組むのかについて明確にさせていくこともいま求められていると思います。

 地域福祉は誰が誰と手を組むかということと同時に、それをどこでつくっていくのかということにもこだわります。私は、権利としての生活権を小学校区や中学校区の生活圏域のなかで、普通の市民が朝から晩まで24時間365日、食べたり寝たりお風呂に入ったりする日常生活を送る家族や地域の生活圏域のなかで考えていくことが地域福祉ということだと考えています。そのためには国の法的・財政的な保障のもとに公共的サービスが提供されることが前提で、医療保障と所得保障、そして住宅の保障、これらなくして地域福祉はありません。大阪市の「地域福祉計画」や「地域福祉活動計画」は、私も策定委員会にかかわっているのですが、これはある意味仕方のないことであるものの、曖昧にしたり、ごまかしたりしているような状況にあるように思います。それは職員を責めるという意味ではなくて、いまの状況のなかではそれしかできないという限界を認識したうえで、いま一度、計画のつくり直しをしなければならないだろうと思っています。

 さて、セーフティネットの話になりますが、私は、まず介護保険がはじまって高齢者のセーフティネットがどうなったのか、ということをきっちりと押さえる必要があると思っています。もちろん措置の時代がよかったとはいいませんが、介護保険法という法律に基づき保険者である大阪市が条例をつくり施策展開をしていく。そのなかで、たとえば保険料を払わない人の老後をどうするのかということなどについて、きっちり押さえながら進めなければならないと思いますが、2006年から地域包括支援センターが事業の目玉としてつくられました。大阪市の場合は、この事業を社会福祉協議会に委託して進めているのですが、そのなかで本当に困難な事例、生活上のさまざまな困難を抱えて不利な状況に置かれている人たちが増大し固定化する状況があります。これまでは行政自体が抱えていましたから、そのようなデータも知ることができました。しかし現在は、ほとんどの実務が行政の手を離れているという状況であり、社会福祉士や主任ケアマネージャー、保健師といった関係する職種の方々のみがさまざまな困難事例に当たっています。しかし、いま一度、どこまでを国の責任で行いどこからは地方自治体でできるのかということを、具体的な事例に対応するなかできっちりと積み上げていくというようなことを、自治体労働者も委託先の民間労働者と共同して、一緒にやっていくことが必要ではないでしょうか。そうでなければ、自治体労働者自身の労働がますます靴下の上からかゆいところを掻くというような形態になっていくだろうと思います。社会福祉のなかの、それも非常に狭いお話をさせていただきましたが、ぜひ議論していただきたいと思います。

 福原 お三人にはそれぞれ異なった視点から提起をいただきました。お三人の提起に対するコメント、基調講演に追加すべき点について宮本さんにお話をお願いいたします。

「支え合い」と「現場力」

 宮本太郎:お三人のお話をうかがっていて、浮かんできたのは月並みですけれども「支え合い」という言葉です。現代社会のなかで、そうした家族や地域の自然な結びつき、助け合いというものが育っていくためには、いまのお話にでてきたような「支え合い」がいる。よく誤解されていることなのですが、北欧の福祉社会というと、公的なものがすべて地域や家族のつながりの代わりにやってしまっていて、便利かもしれないけれども冷たい社会というイメージがあります。ところが実際の社会をみていると全然違っていて、家族や地域の結びつきを生かすためにこそ何かやらないといけないという発想なのですね。

 たとえば非嫡出子、未婚で子どもが生まれてくる割合をみると、スウェーデンでは第1子に関しては57%です。すると、そらみたことか、もう結婚制度が壊れているじゃないかということになる。ところがよくみてみると、たしかに結婚制度そのものよりも同居的な婚姻のかたちが重視されているのも事実なのですが、第2子、第3子になるにしたがい結婚している割合が増える。これはいわば「お試し婚」なのです。この女房、この旦那とはたして死ぬまで一緒にやっていけるのだろうか。おそらくこの会場のなかでも確信をもてない人がけっこういると思うのですが、そのあたりの見切りをつけるためには時間がかかるし、いろいろ工夫がいるということです。スウェーデンでは、もう大丈夫だろうというところで籍を入れたりする場合が多いということです。

 また、老親、実の親でなくてもいいのですが、自分にとってかけがえのない人の死を前にして、「看取り休暇」という一緒にいる期間を40日間、所得の8割を保障して提供する。さらに、子どもが産まれたら「育児休暇」が490日間、従前所得の8割を保障して提供する。そういう意味で、家族関係や地域的なつながりを活かすために「支え」がいるという考え方です。それでも、スウェーデンだからできるという発想が、おそらく皆さんのなかにはあるのでないかと思います。なぜならば、スウェーデンは他の北欧の国々と並んで特殊な例であって、たまたま公共セクターが市民からそれだけの信頼を得ることができたのではないかと。

 じつは日本でも調査をしますと、「大きな政府」に頼りたい、何かサポートしてほしいという人の割合は非常に高い。しかし、助けてもらった経験が十分にないから信用できない。助けてくれるならばお金を払いたいけれども、まだサポートが届いていないから、税金が捨て金にみられてしまうような社会になっている。少しずつ心にあるいはニーズに届くサポートを積み重ねることで、スウェーデンとまではいかなくてもいろいろ方法はあると思うのです。それはさきほどのありむらさんのお話でも明らかです。

 私は、最近スウェーデンに行くと、その帰りにイタリアに寄ることが多いのですが、それはたんにイタリア料理だけが目当てではないのです。イタリアにはイタリア流のいろんな面白さがあって、スウェーデンが何から何まできちんと設計されている国だとすれば、イタリアは社会全体の設計がちゃらんぽらんな国です。だからどういう力が育っているかといえば、いわゆる「現場力」です。たとえば、ミラノ駅で夜、改札口にならんでいると、人がいっぱい押し寄せているのに改札口は2つくらいしか開いていないわけです。長蛇の列で電車の出発時間も迫っている。列の最後尾にいる人は乗り遅れることが明白である。どうして他の窓口を開けないのかというのがスウェーデン的発想ですが、イタリアの人は諦めていますから、内部で解決しようとするわけです。つまり、列の最後尾にいる人たちが、自分の列車は出発時間が迫っているので何とかしてほしいというと、そうかそうかということで、ちょっと順番を変えようという対話がはじまって自治がはじまる。お上がちゃらんぽらんで社会の制度設計がいい加減、これは日本に近いと思います。そういうときに「現場力」というのがでてくるわけです。

 “ありむらワールド”も「現場力」の世界ではないかと思います。失礼ないい方かもしれませんが、冷蔵庫を開けてみると残り物はかぎられている。しかし、かぎられたもので何かをつくらなければならないというところから出発して、しかもちゃんとできている。もちろん、中央政府が公的な責任を果たすべきことについて要求し続けなければならないわけですが、「支え合い」というものは「現場力」でも相当なことができると思うのです。

 福原 パネリスト3人のお話と宮本さんからコメントもいただきました。少し共通した議論があったかと思います。それらを集約するものとして、宮本さんが提起された4つの橋のお話があると思います。橋を架けるというのはある意味「支え合い」であり、これは当事者同士・家族・地域、そして当事者と行政、そういったさまざまな橋の架け方もあるかと思います。そういった議論を踏まえて、今後のあるべき活動の課題を、行政に対する問題提起もふくめて、2順目の発言をお願いします。

地域のつながりこそ核心

 ありむら:本当に「現場力」だけでもっているところがあると思っています。大阪らしいともいえるのですが、逆にいえば大阪市行政がいかに効果的なかかわり方をしてこなかったかということであり、だからそのあたりはずっと残念に思ってきました。その典型的な例は、いまだに生々しいのですが、住民票を大量に職権消除した出来事ですよね。あれは本当に社会的排除そのものです。現場では長年何も問題なく行われてきました。問題があるとすれば3500人という数字になる前に、市行政が東京都のように代替施設をここに置きましょうというかたちでやってこなかったということだけが問題であって、それ以外のことは何ら問題がなかったはずです。しかし手のひらを返したように職権消除し、社会的排除に走った。おかげでいまだに住民票をとれない人たちがいます。住所を簡易宿泊所に置けばいいといいますが、1泊や2泊したからといって置けるものではない。そうすると運転免許の取得や更新もできないし銀行口座もつくれない。ますます生きづらくなっていくわけですよ。とにかく止めていただきたい。そうしなければ、少なくとも釜ヶ崎では官民協働などという話には絶対になりません。

 人とのつながりがいかに大事か。別の例をもう少しいいますと、たとえばAさんは団塊の世代で、日雇労働者として働いてきました。現在は高齢者特別清掃事業で一月に3、4日働いて2万円くらい稼いで野宿しながらようやく飯が食える状態です。彼にとっては特別清掃事業が他人との唯一のつながりの場であり、このまま齢をとっていけばもっと孤立し、野宿生活と社会的入院を繰り返すことになっていきます。そうなればたとえば病院なら1人に一月四十数万円の金額が必要となります。それに対して、地域のサポートのネットワークに何らかのかたちでつながっていたために、たとえばBさんは60歳を超えても、半就労+半福祉のような生活をしながら、地域につながったままの生活が継続でき、さらに齢を重ねて生活保護を全面的にうけるようになっても、地域のなかで安定した生活を送ることができる。AさんとBさんはどこで分かれたのでしょうか。もちろん本人の他者とのコミュニケーション能力によるところもあるかもしれませんが、それは本当にちょっとしたきっかけです。あるちょっとしたきっかけで地域に何らかのつながりができ、そのつながりが雪だるま式に膨れ上がっていく人と、何もつながりをもてないままにさらに孤立化していく人との分かれ目は、本当にちょっとしたことである。地域のさまざまな高齢者をみていてそんな感じがしています。

不十分な情報発信

 住友:私は、子どもたちの現状に対して、大阪市の担当職員の方々に、「皆さんは本当はどうしたいのですか?」と聞いてみたいと思っています。これからどうすればいいのか、私自身も迷うことがいっぱいあるのです。でも、それ以上に市職員の皆さんはどうしたいのかということを聞いてみたい。どうしたいのかという情報発信をすれば、NPOのなかにも研究者のレベルでも協力しましょうという人がいるかもしれない。今後の青少年施策については、逆に大阪市側から「困っているから助けてくれ」という情報発信からはじまるものもあるのではないのかと思います。

 また、大阪市の少子化施策、たとえば次世代育成支援の行動計画などのなかには、地域社会で支え合うネットワークづくりとか、子育てを支え合うまちづくりに取り組むといったことが記載されています。立派な行動計画はできるのですが、その後その計画はどうなったのかということがいつも気になります。計画をつくるところまでは、市民にもNPOの人たちや研究者にも参加してもらい、多様な意見を出し合ってつくって、いい計画ができてよかったということになるのですが、そこで終わっているのはもったいない。皆でわいわいがやがやと計画づくりをすることも楽しいのですが、「ほっとスペース事業」の運営協議会にかかわらせていただいて一番よかったと思うことは、子どもの具体的なケースについて、市職員とNPOの人たちそして私など、それこそいままでお互いにあまりかかわり合いのなかった人たちが、ともに何かをする経験を積むことができたということなのです。だから「青少年会館条例」の廃止には、せっかくはじまっていた市民と行政の協働の経験をぶち壊しにされてしまったという、たいへん残念な思いがあります。

 さらにいえば、子どもに関する施策を変更する場合は、子どもたちに対しても説明する責任があるのではないのか。どうして施策変更が行われるのかということを子どもたちにもわかるように説明してほしい。彼ら彼女らも大阪市の市民です。会館の利用率が低迷しているなどというけれど、子どもたちには「でも僕らは毎日きているぜ」という声があるし、一連の不祥事があったからといっても「それは大人の問題じゃん。なぜ僕らの居場所が失われるわけ?」という子どもたちもいる。これらは子どもたちの側からのみごとな反論だと思う。それに対して大阪市の上層部の方々はどのように答えるのか。窓口で何度問い合わせをしても返事は返ってきません。

当事者性にたった取り組み実践と自治

 上野谷:阿倍野区の障がい者施設が計画より10年遅れでつくられました。10月1日、明日開設いたしますけれども、近隣住民の反対運動があり、その旗がいまだに立っています。そういう町会・自治会に対して、地域福祉とはいったい何なのかということを社会に問えない社会福祉協議会と福祉関係者。個別には問えても、パワーをもって、ビジョンをもって異なる存在をきっちり認めて環境を整えていくことは難しい。しかし具体的事象で協働が活かされないと。私も阿倍野区民ですので、「福祉環境を考える会」という会をつくって、月1回夜に中学校の教員や社会福祉協議会の職員、市役所・区役所の職員、職員労働組合の阿倍野区役所支部の人たちの支えで5年間続けてきましたが、本当に孤立していきます。私などは自由業ですし、何をいわれてもびくともしません。しかし障がいを抱え、さまざまな生活困難を抱えている人たちは本当にいたたまれないと思いますね。そういうことに対して、青少年会館の話にもありましたが、ビジョンを共有するためには徹底的なフォーラムですね、徹底した対話をしないといけないと痛感しています。

 さきほどのスウェーデンの話ですが、1982年の社会サービス法以降、家族支援の問題がでてきました。しかし、それは日本のようにケアの担い手としての家族への期待と支援では決してなく、宮本さんがおっしゃったように家族であり続けるための支援です。家族的なるものといったほうがいいかもしれません。愛し合ったり憎み合ったりする家族、もちろんそれは同性同士の家族でもいいわけで、そういう家族的なるものを支援するためのプログラムなのですね。しかし日本語に翻訳すると、それは家族介護者への含み資産としての支援というように解釈される危険性があります。決してそうではないということを、情報発信していく必要があります。

 もう1つ、地域と向き合うにはやはり2つのシステムがあると、ありむらさんの話を聞いても思いました。社会福祉のなかで、いままではコミュニティワークなどといって地域を支援するというような方法論を使っていましたが、もうちょっと具体的な地域で起こっている個人の個別の課題を地域の人とともに解決していく。やはり解決してなんぼというものですからね。個人の当事者性を大切にする。しかし当事者は差別され偏見のなかで弱っている、だからこそ専門職やちょっと力のあるボランタリーなNPO法人をふくめて当事者性にたって応援する。こうした取り組みが主導権を握らねばならない時代がまだ10年は続くのだろうと思います。もう1つは、地域づくりの主体はやはり住民ですから、住民自身が自分たちの暮らしやすさをつくっていくという自治ですね。これらの2つが、地域のシステムとしてつくられていかなければ大阪市も非常にしんどい。西成区の「地域福祉アクションプラン」はたいへん苦労しながら、その2つを統合していく仕組みづくりをめざしつつあると評価をしています。そういう取り組みもありますので、大阪市も自信をもって確認しさらに発信していく作業が必要だと申し上げたい。

 福原:ありがとうございました。つぎに、フロアの皆さん方からこれまでの議論を踏まえて、いくつかご質問・ご意見をお受けしたいと思います。いかがでしょうか。

新しい公共サービス供給システムをどうつくるか

 フロアA:大阪市職員労働組合の者です。宮本先生の講演をうかがっていまして、なるほどと思いながら聞いていました。これからの新しい公共サービスの供給システムをどうつくるのかというところでぐっと盛り上がってきたところで、時間の関係で終了されましたが、本当は、講演のレジュメにありました、行政側がニーズを決めてかかるようなニーズ決定型では対応できない時代に入っている、行政と民間とのベストミックスというようなことについてもう少しつっこんでお話をうかがいたいと思っていたところ、第Ⅱ部のパネルディスカッションがまさにそれをテーマにしたお話だったと思っていまして、本当に興味深く聞かせていただいたところです。「現場力」というお話がありましたが、市民の皆さんの取り組みで「現場力」が発揮されて何らかの解決の方向性を具体的に探られているということは、反対にいいますと行政組織は依然として大きなピラミッド型の構造になっていて、具体的に現場で起こっている問題に対して有効に対応できないシステムのままではないのかというようなことを考えながらお話を聞いていました。

 私たち労働組合としましては、最近市民との協働ということがいわれますが、そのことが行政責任の放棄ではないのか、市民への押しつけになっているのではないかなということも考えながら、市民と一緒に語り合うような場を労働組合自身がつくってみようということで、ささやかな取り組みですが、この8月から淀川区の三津屋商店街のなかに空き店舗を1軒借りまして、市民との交流スペースというものをつくりました。家賃などは労働組合が授業料のつもりでださせてもらい、地域のNPOの人たちばかりではなく町会長の皆さんや商店街振興組合の皆さん、地元の小学校区を活動の場所として活動されている子育てサークルの皆さんと一緒に運営に乗り出したところです。そこには本当にいろんな方がこられますし、いろんな問題が持ち込まれます。また、このスペースを明るい場所にしてくれたのは子どもたちで、下校途中に気軽に寄ってくれたりします。

 地域の課題というのは、縦割りの福祉だとか商店街振興やまちおこしであるといった個別課題に分断されるものではなくて、さまざまなものがないまぜになって存在しています。そういう意味では、商店街が活性化することと子どもたちの安全や育ちを支えていくということが一体的に語られる場だなと思っています。反対にそういうところからみますと、大阪市役所というのは非常に巨大でして、面白い話ですが、こういうものをつくりますと、本庁の関係部局の管理職の皆さんものぞきにきてくれます。健康福祉局も経済局も市民局もきてくれたのですが、商店街振興組合の会長さんにいわせれば「お前とこはおかしいな。どの名刺をみても同じ住所や。何で3人もこなあかんの。1人きて、こんなんやったって報告したらすむのとちゃう」ということでありまして、私たちとしても、いつの間にか知らず知らずのうちに市役所の縦割りのシステムのなかで発想していたという反省もしているところです。そういう取り組みともからめていえば、あらためて新しい公共サービスの供給システムということと、市民の自治、市民が直接決めていくということとをどう関連づけて考えていくのが求められているかと思っていまして、そのあたりのところで補足して教えていただくことがありましたら、ご意見をうかがいたいと思います。

現実に対応できていない行政組織

 フロアB:私も大阪市に勤めているのですが、地域ではろうあ者の皆さんのボランティア活動をずっと続けています。ありむらさんが当初2年間と思われて入った釜ヶ崎地区で、あれよあれよという間に30年間も頑張っておられるということが、私はよくわかります。私も、自分の生まれた生野区で手話サークルをはじめ、ありむらさんと同じように30年近く続けています。それは地域にあるニーズに応えるということをすれば当然のことで、そこでは自分が一生涯やろうということでしか解決に近づかない現実があります。しかし、大阪市役所の職員は3、4年で職場がどんどん変わっていきます。こんな制度があるから大阪市には立派な人材も専門家も育ちません。うわべだけの事なかれ主義で、自分がその職場にいるときに問題を起こしたくない。いろんなニーズがでてきても、そのニーズを目の前にした職員がすべて上司や組織の責任にして、そのニーズから逃げている現実がある。地方分権の時代といわれますが、大阪市も組織を再編して、大阪市としてトータルにやるべきものと、それぞれの行政区にもっと分権すべきものとを峻別し、区役所の区長が臨機応変にその場その場で対応できるように、そのために必要な予算も使えるようにすべきではないかと思います。

行政はあまりにも無策すぎないか

 フロアC:私は、部落解放同盟住吉支部に所属し、そこでずっと活動もしてきましたが、青少年会館の問題に関して、たしかにいろんな同和対策に関する不正がありますから、そのことについては何ら弁解する余地はないと思っているのですが、ただ自分たちが要求してきた中身に普遍性をもったものが本当になかったのか。そこに普遍性があるとすれば、当然行政の受けとめ方にも問題はなかったのか。ただたんに白黒をつけるというようなことではなく具体的に何が問題であったのか。それではこれからどうするのかというようなことが問われている気がしています。たとえば矢田地区という大きな非差別部落がありますけれども、そこの青少年会館は非常に大きな役割を果たしていた会館です。しかしこれがいまは完全に閉鎖しているのです。市民にもう1度開かれるようなことを具体的にやっていくというのが行政的な施策だと思うのですが、あの建物だって建てるのに何十億円もかけたわけでしょう。建物を閉鎖したまま朽ち果てるまで待つなんていうのは、それこそ税金の無駄遣いとしかいえないのではないでしょうか。会館の廃止条例をつくる前に、もっと具体的にどう使うべきなのかということが問われるべきだったと思うし、あまりにも無策にすぎるという印象をもっています。解放同盟という組織が非常に閉鎖的な組織でしたから、市民ともっと連帯していくということがあれば、このようなことにはなっていなかったのかもしれませんけれども、風呂の水を流すときに赤子まで一緒に流すというようなことが起こっているのではないかという感じがしています。

外国人労働者に必要な住居確保

 フロアD:東住吉区矢田の特別養護老人ホームで仕事をしています。市民のセーフティネットという場合、市民というのは在日外国人やこれから来日されるニューカマーの人たちが入っているのかどうかということですね。大阪市は国際人権都市といっていますけれど、それをきちっと入れたうえでセーフティネットをどう考えるのかということが必要ではないかと思うわけです。とりわけ住宅政策について、大阪市は住宅を建てることが目標になっていて、住宅に困っている人にきちっと入居してもらうという考えはないですからね。私の知るかぎりでは高齢者むけの市営住宅などが結構空いています。何やかんやと理由づけをして入れていないのですが、外国から日本にきて就労される人に開放するなりシングルマザーで困っている人たちに開放するなりしていかないとダメではないのか。私たちの業界でいうとフィリピンの人がこられますが、その住宅について、受け入れ施設が面倒をみるということになっているのですが、きちんと対応しないとタコ部屋に収容されることになりがちです。外国人労働者の後ろにはエージェントという、フィリピンを出国するときに費用をとり日本にきてもまた費用をとるというシステムがありますので、外国人労働者の基本的な人権について政府なり自治体がきちっと担保するというようなことをしないと、せっかく外国から働きにきても結局日本の社会は何だということで帰ってしまうことになります。最近、当ホームで在日フィリピン人むけのヘルパー2級講習を実施しました。うれしいことに彼女たちは人間扱いをしてもらったということで、そのうちの何人かの方に勤めていただいています。その彼女たちも住宅について何とかなりませんかとはっきりいっています。住宅と保育所ですね。大阪市がもっている社会資源を誰にどのように提供していくのかというようなこともぜひ考えていただきたい。

 福原:たくさんのご質問・ご意見をいただきました。整理をしますと、宮本さんに対して新しい公共サービスの供給システムについて、また住友さんに対しては青少年会館の機能のもつ普遍性などについてのご質問かと思います。さらに大阪市内で就労されている外国人労働者の方々に対するセーフティネットのありようについても質問をいただきました。まず宮本さんからお願いしたいと思います。

サービス過剰社会日本の公共サービス

 宮本:よい公共サービスとは何なのかを考える場合、ちょっと誤解されているところがある、すなわち日本は過剰なまでのサービス社会だと思うのです。北海道に住んでいてよく飛行機に乗ります。スウェーデンにはスカンジナビア航空で行ったりします。そうするとサービス文化の違いをすごく感じるのです。日本でキャビンアテンダント、私たちの世代ではスチュワーデスといったほうが感覚的に合うのですが、日本のスチュワーデス、キャビンアテンダントはみていて痛々しい。微笑みを絶やさず、離陸直後から背筋をピンと立てて、どこかでボタンが押されれば1分以内に飛んでいく。日本の乗客の多くはかなり忙しい暮らしをしているビジネスマンで、自分たちも顧客サービスに必死だから乗客になったときのわがままぶりがすごい。1分以内に飛んでこなかったらすぐに文句をいうし、隣の客にジュースを配って自分のところにもってこなかったら「何事だ」とたてつくし、真面目そうなサラリーマンが何か豹変してわがままになるのです。スカンジナビア航空に乗るとちょっと違っていて、離陸直後は結構忙しく働いていますが、フライトが安定するとみんな後方に集まってジュースなどを飲みながらキャーキャーいって楽しんでいます。おそらく日本でああいうことをやったらとんでもない騒ぎになると思います。何がいいたいのかというと、よく考えてみると、微笑みを絶やさずピンとしていて、その結果疲れ果て安全管理のサービスがいい加減になったりすれば、それは乗客のニーズをないがしろにするとんでもないことだと思うのですが、日本のサービス社会のなかで生きているとどうしてもそういう感じにはならない。コンビニなどでも声かけというのでしょうか、客への声かけを店員全員で唱和するわけですね。

 そういうなかで、役所に行くと何となく素っ気ないという感じがする。役所も最近ずいぶんと変わってきて、もちろんサービスの中身をよくするのは悪くはないのですが、この頃病院が「患者様」というような感覚でにこにこしてくれて、このままいくとマクドナルドのカウンターのように「住民票1通でよかったでしょうか」と首を傾げてにっこりしてくれるような役所になっていくのかな、そして住民はそれを喜んだりするのかなと思ったりするのです。民間のサービス業の過剰サービスのあり方そのものがどうなのか、サービス産業のサラリーマンがサービス過剰社会そのものに疲れている部分があると思っているのですが、住民は役所に同じことを期待したり要求したりする。しかしそれは決して良質なサービスとはいえないだろうということです。

 ニーズというのは当事者にもよくわからないものであって、とくに役所や病院、学校などにかかわるニーズというのはその当事者にもよくわからないから何とかしてほしいというものだと思うのです。そのニーズをきちっと拾い上げることは結構たいへんです。たとえば、いまヨーロッパの国々は保育にものすごくコストをかけています。それは何もヒューマニズムではなくて、これからの社会は子どもたちが一つの技術を手にして生きていける社会ではない。技術はどんどん陳腐化していきますから、長い人生のなかでつぎつぎに新しいことを覚えていかないといけない。そういう基本的な能力を幼児期に養うためにはそれなりに保育にコストをかけないといけないということで、すごくお金をかけています。ところが日本の保育所の民営化は労働力コストを引き下げるだけ。そこで失われるニーズとは何だろう。安い労働力は賃金の低い未熟な保育士になりがちです。そこで見失われるニーズ、長い人生のなかで子どもたちがいろいろなものを吸収しながら生き抜いていく、そうした基礎的な能力が失われた場合その子どものニーズは失われてしまうことにならないのか。

 もちろん、子どものニーズはこんなものだと上から決めつけることも決してできないわけです。そうしたなかで良質なサービスはどうやって提供されるかといえば、結局はコミュニケーションの密度だと思うのですね。さきほどいった、小首を傾げて笑顔で応対する窓口のようなものを求めるのとは異なるニーズの表出の仕方を市民がどれだけ会得するのか。そういうニーズ表出をしっかり受けとめる行政の態度がどのように涵養されていくのか。それは一筋縄ではいかないけれども、その場は一つのベストミックスというのがあるのだろうと思います。ミックスというのはとにかく混ぜるということですが、行政とNPOと民間市場、あるいは家族が、それぞれのいいところを結びつけ合うのか悪いところを結びつけ合ってしまうのか。これまでの措置制度における高齢者サービスは悪いところを結びつけ合ってきたところがあって、行政は社会福祉法人に対して、施設のスプリンクラーの数だとか1人あたりの居住面積だとか細かいことにやたらと文句をいう。社会福祉法人もそれに萎縮してどんどん受け身になってNPOらしさを失ってしまう。その結果サービス自体が面白くないものになって、その間隙をぬって、すごく高いお金をとってすごく豪勢なサービスを提供するところがあらわれたりしている。つまり行政は基本的に経費と枠組みを提供する、そしてそのなかでNPOが本当のニーズに耳を傾ける。そのなかで余裕のできた家族が愛情空間としてお互いを支え合う。そういういいとこ取りのミックスをどう実現していくのか。おそらくベストミックスというのはコミュニケーションが密で、表出されていないニーズを掬い上げるものだと思う。しかし、やはりまだよいサービスというとデパートのようなサービスになってしまう。そこをどう乗り越えていくのかということがポイントなのだろうと思います。

取り組みのなかに施策のヒントが

 住友:市民のセーフティネットというテーマに関連づけていうならば、当初は同和地区限定でしたが、青少年会館の事業はまさに子どもの教育や保護者の子育て支援、あるいは地域社会での文化活動など、ある種先駆的なセーフティネットづくりの実践であったと思います。かつて青少年会館事業でやってきた取り組みとその成果のなかには、いまこそ全市的に、あるいは他市にも拡げていくべき普遍的なものが、いっぱい詰まっていると思うのです。また建物だけではなくて、あそこで取り組んできたソフトの部分にもいっぱい財産があると思っています。それを断ち切られるのが本当に辛いし、地域の古い話なども地元の方々から聞き取りながら、それをいまの施策にどう活かすかという勉強をさせてもらいたいと考えていた折でしたから、本当に残念でなりません。これからの生活困難層の人たちに対するさまざまな取り組みを考えるうえで、青少年会館事業には普遍性をもった実践や施策のヒントが詰まっていると思っています。私自身は、いま地元で何とかしなければと思っている人たちとともに考えていく取り組みを3カ月ほど前からはじめたところです。この取り組みがこれからさき軌道に乗るかどうかわかりませんが、これまでやってきたことを、何とかしてつぎにうまく継承できるような取り組みができればということを考えています。

 福原:ありがとうございました。外国人労働者に対するセーフティネットのあり方について、上野谷さんいかがですか。何か示唆をいただければと思いますが。

大阪に問われる住民自治力

 上野谷:示唆ということではありませんが、私がかかわりをもっている島根県松江市は人口が20万人を切っていますが、合併して28の小学校区があります。それぞれの小学校区に公民館がありまして、そこに地域保健推進職員、市の嘱託職員ですが職員を配置して、要するに福祉と保健の合体した仕事を小学校区単位に行っており、その職員の人事推薦権は地区がもっています。そのような仕組みをつくっており、小学校区ごとの住民懇談会を年間6回も7回も開催しています。それぞれの地区によって異なりますが、さまざまな精神的な病を抱えている人、数はそれほど多くありませんがニューカマーの人もふくめて、とにかく「暮らし人」が集まって話し合う。そしてその話し合いの記録を住民がビラにして配布する。その書き方もたいへん上手です。地区ごとに自分たちでお金を集めて活動も自分たちでするわけですね。そういう懇談会を何回も重ねたうえで全市的規模のフォーラムを開催する。地域福祉計画の策定の際も地元の集会と全市的集会を重ね合わせながら策定していきました。これが住民自治ですよね。

 残念ながら大阪市では、そのことの意味をなかなかわかっていただけなかった。やっても一緒というような感じでした。それはとてもしんどいことであり、懇談会やワークショップの仕方など一定の技法も必要とします。しかしやってもらわないといけないわけです。ワークショップをしながら住民自治を高めていく力も必要だし、ビラをつくる力がなければ訴えられませんよ。市民としてビラまきもできません。大阪市内でこれだけ技術や知識をもった市民がいながらなぜ協力ができないのか。なぜお金を貰わないと動かない人が増えたのか。堕落していったのはこの30年ですよ。そういう意味で、もう一度つくり直すことが必要ですが、大阪にはそれをやれる底力があると思いたいのです。

 ありむら:以前、釜ヶ崎の住民とは誰かという議論をしたことがあります。問題ごとに当事者度の濃淡はもちろんあるのですが、仕事をしている人、住んでいる人、ボランティアにくる人、研究にくる人の皆がまちづくりにおいては当事者である。ホームレス支援の世界で、よく当事者と支援者という息が詰まるような関係ができて関係が壊れていくというところがあるのですが、まちづくりのビジョンをつくって、そこにそれぞれの立場でむかっていこうという方法論です。たしかに弱い立場の人もいるのですが、それでも参加できるように支援をしながら、というようになっています。そういう関係づくりが、人びとがつながっていけるヒントかなと思いました。

信頼関係をどう構築するかも課題

 福原:ありがとうございました。時間も迫ってまいりました。私もまとめをかねてコメントをしたいと思います。「どうつくる、市民のセーフティネット」をテーマに開催された本日のシンポジウムですが、「現場力」と「支え合う」関係づくりということが議論の大きな柱になったかと思います。

 この間、障がい者、生活保護受給者、また母子家庭にも、さらにはホームレスに対する支援のなかで、稼働能力をもっている人たちに対してですが就労を軸にした自立支援が持ち込まれました。そのことによって、自治体のそれぞれの現場においては、国がいうようなかたちでの支援はうまくいかないという壁にぶちあたっているかと思います。

 たとえば生活保護についていえば、いろいろな工夫を凝らしてきわめて多様な支援の枠組みをつくっている自治体もあれば、北九州市のように「3カ月経過したら生活保護を打ち切る」と事前に念書を書かせ、その結果、餓死者がでてしまうという、かなり多様な状況があるわけです。そうしたなかで大阪市は、今日は大阪市政についての批判があいつぎましたが、生活保護の仕組みについては比較的評価の高いものをつくっているといわれています。私もそうだと思っていますが、逆に現場でそれがうまく使いこなせているかどうかというと、非常によく使いこなせるところとそうでないところとの落差が大きい。「現場力」をもっているところともっていないところが、同じひとつの自治体のなかで存在している。これを打ち破っていくことも課題かなと思っています。

 関連して、就労上のさまざまな困難を抱えている人たちに対して、大阪府下の全市町村で地域就労支援事業が5年前から行われていまして、もちろん大阪市もこの事業をやっています。この事業の非常に興味深い点は、就労支援の担当者をコーディネータ、調整役と命名しており、就労支援ですから就職先を探してきて紹介するのでハローワークと同じような機能を想像しがちですが、あえて調整的な仕事に徹するという原則でつくられています。要は相談をうけるということですね。相談1回ですぐに仕事がみつかることもあるわけですが、往々にしてそれぞれの当事者がもっているいろんな悩み、専門的には阻害要因と呼んでいますが、本人も自分のもっている悩みが何なのかわからないけれども、でも就職したい。しかし、就職の面接をうけてもいままですべて門前払いされてきたという経歴をもった人たちがもう行き場をなくして、ここに相談にきたというケースがあります。彼らはさまざまな困難を抱えながら、それを他人に語ろうとしません。したがって、コーディネータと相談にこられた人とは信頼関係、一緒に対等の立場で就職を考えていこうという関係をつくる活動を行います。

 大阪市内のある区の生活保護を担当している部署においても、生活保護の就労支援で、この地域就労支援の取り組みを学んでいこうというところもあるようです。また逆に、地域就労支援など絶対にいらないと頑なに拒否する区役所もあるとのことですが。しかし、お互いに信頼し合える関係を当事者と行政機関の間でどうつくるのかが大きな課題だと思います。信頼できるコミュニケーションづくりが基礎であると思います。

 最後に4人のパネリストの方々に本日の感想をふくめてごく簡潔にまとめのお話をいただきたいと思います。

豊かなコミュニケーション空間をつくる

 宮本:手話サークルをやっておられる職員の方から、どうしてこんなに配置転換するのかという話がありましたが、ようやくつながりかけてきたときに職員が変わってしまうのは、NPO側にとっても非常に深刻な悩みになっています。北欧諸国をみてもこんな配置転換はいたしません。そこで仕事を覚えて地域の人とつながったら、それは財産ですので、本人が申し立てないかぎり異動はありません。そうすることによってやり甲斐もでてくる。

 やり甲斐のもうひとつの鍵は、これもさきほどの方がおっしゃった責任の問題です。今日のこの会場のなかに、黒澤監督の「生きる」という映画をご覧になった方がどのくらいいらっしゃいますか。癌にかかった公務員が、人生の最期で、これまでのルーティンワークではなくて、何か最期に残したいということで児童公園をつくる、そして完成した公園のブランコに揺られながら死んでいくという話で、それはそれで非常に完成されたいい話だと思うのですが、私は「新作・生きる」みたいなちょっと意地悪な話をつくってみたくなるのですね。どういうものかといえば、最期に本当にこれまでになかった児童公園をつくりたい、子どもがめちゃめちゃ喜んでくれるような児童公園をつくりたい。そしてちょっとリスキーな遊具をつくるのです。たとえば、タイヤかなんかに飛び乗ってブーンとむこうへ行く遊具をつくって、それは大受けして子どもたちもいっぱい集まってくるし、ずいぶん地域を変えるのですが、子どもの1人が遊具で怪我をしてしまう。そうすると住民は烈火の如く怒って、これを考えた奴は誰だといいはじめる。その人は癌で死のうとしていたのにそれどころではなくなっちゃうみたいな、そういう映画を製作したらどうかと。つまり何がいいたいかといえば、結局いまの役割分担では、住民は自治体に対して本当にサポートしてほしいことをぶつけてこない代わりに、何か事が起きるとすべて役所のせいにしてしまう傾向があるがゆえに、本当に何か新しいことができないわけですよね。さきほどのあまりに安易な配置転換とそうした地域行政文化のようなものがあいまって、職員もつまらなくなっているし住民もニーズが満たせなくなっているという、この悪循環をどう変えていくのかという問題があると思うのです。とにかくコミュニケーションがなければ何もはじまらないし、いかに豊かなコミュニケーション空間をつくっていくのか。それがさきほどいった責任の押しつけ合いを乗り越え、地域の行政文化をお互いにとって面白くしていくきっかけであり、地域にセーフティネットをつくっていく基盤になるのだろうと思います。

支援団体をもっと活用し、行政は包括支援を

 住友:今日のシンポジウムに参加させていただいて元気がでました。この間ずっと「ほっとスペース事業」にかかわりながら思ってきたことですが、市職員の人や地元の市民、NPOの人たちと子どもたちのことで一緒に夢をみたいと思っていたところがあったのです。会館の条例廃止でいったん落ち込んだ気持ちが、今日ここに来ていろいろと話すなかで、あらためて湧いてきました。もう一度何かをやってみたいと思います。それとともに、これはずっと思い続けていることですが、私は、子どもたちが自分自身と身近にいる仲間や大人たちを信じられるような関係をつくりたいという思いがあるし、その信頼関係が身近な地域社会に満ち溢れているような関係をつくりたいという思いをずっと抱いてきました。その気持ちがあらためて湧いてきましたし、それがあればいましんどい状況に置かれても、自分の力と周りの人たちの力を合わせて、自分なりに生きていく道が描けるのではないか、そういう希望を描ける子たちを増やすことができるのではないか、地域も変わっていける展望が描けるのではないか。そのために自分はこれから何をすべきかをじっくり考えてみよう、そんな気持ちになりました。

 上野谷:大阪で育てていただきましたし、これからも老後を支えていただきたい。今日の参加者の8割方は私より若い人たちだと思いますので、ややこしい上野谷が最期までわがままをいって死んでいきますので、どうぞよろしくお願いします。

 ありむら:2点あります。1点目は生活保護の問題とかかわります。もちろん釜ヶ崎の問題を念頭にしているのですが、新しいセーフティネットづくりに現場の支援団体をもっと活用してほしいのです。野宿問題の場合、支援団体は野宿したときから支援していきますし、畳の上にあがって生活保護に入っても、当事者と豊かなつながりをもっているのですよね。ボランティア的精神で本当に頑張ってやっています。支援団体をケースワーカー的なものとして位置づけて、そこにお金も回す。支援団体を活用することによってものすごく状況が変わると思います。ものすごく効率的ですし、現状をかなり変えることができると思います。そのあたりの、地域住民や支援団体と一緒に仕事をやっていく点で大阪市行政は本当に下手です。そういうところをすごく感じます。

 2点目はマクロ的な話ですが、地域で一つひとつのニーズに向き合うということは逃げ道がないままずっと向き合っていくわけです。さきほど生野区のろうあ者の支援をされている方がおっしゃっていたようにずっとつながっているわけです。しかも、そこでは包括的にかかわっているわけです。だから地域は包括支援を行政に対して求めているのです。生活保護の部局であるとか公園の部局であるとかという縦割りでこられて、いくらそこに連絡調整係がありますからといっても、地域からみればすごく不満を感じます。ましてやそこに人事異動があったりしますから、何事やということになるわけです。お願いしたいのは包括支援の部局であってほしい。行政も包括的に対応してほしい。以上の2点です。

 福原:どうもありがとうございました。今日の話を皆さん方の職場や地域で話題にしていただき、セーフティネットの議論を深めていただければと思います。これでシンポジウムを終わりたいと思います。パネリストの皆さん、会場の皆さん、ご協力ありがとうございました。(拍手)

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